■ 夜明けの浴室 ■
ちゃぷん
ちゃぷ
ガチャリ
「お前、風呂場でも煙草吸ってんのか」
浴室への突然の闖入者はゾロだった。
朝明け雲が照り映える頃、朝風呂に浸かるのはサンジの秘かな楽しみだ。
シャワーもいいが、全身をお湯につけるのはまた違う。
とりわけ、今日のように飲み過ぎた日の朝なんかはなまった細胞を起こすのにちょうどいい。
おう、なかなか風流だろ? マリモにゃちぃーと高等芸能かもしれねぇが。
つーか手前ェ、人が風呂使ってるときに入ってくんなよ。遠慮しろ。
「おぅ悪い、髭当たらせてくれ。すぐ出てくからよ」
湯気で曇る鏡を最小限だけ拭いて、ゾロが洗面に置いてある剃刀に手を伸ばす。
サンジは自分専用のを使っているが、ゾロとルフィ、ウソップは共同だ。そのあたり、衛生面にこだわるサンジには信じられないのだが、そもそもルフィは髭が薄く殆ど剃らない。ウソップも同様で(彼は秘かに髭が薄いことを気にしている)、実際に使用するのは専らゾロのみだった。
なんだ、毛繕いか。手前ェにもいっぱしに美意識が芽生えたか?
「んなんじゃねぇよ」
湯でうっかり火を消さないよう気を付けながら、煙草を口元に運ぶ。
何故だか知らないが、こうやって吸う煙草は格別に旨い気がするのだ。
剃りやすい、頬の広い部分から刃が当てられる。
すぐに色つやのいい肌があらわになった。
「昨日の夜、ナミに剃れって言われたの思い出してな」
そういや言われてたな。むさいとか見苦しいとか。
今のゾロは無精髭が大分伸びて、凶悪な面構えが更に増長されている。
普段刀を振り回すその手には、剃刀はどうにも小さそうに見えた。
手前ェ伸びるの早ぇもんな。朝剃っても夕方にゃ結構ザラザラしてんだろ。
「あァ。ほっといてもいいんだが、そうするとまたウルセェだろアイツ」
麗しのナミさんをアイツ呼ばわりするな。
小さな刃が窮屈そうな手は、それでも器用に肌の上を滑って。
ぱらぱらと、切り落とされた髭が洗面に落ちる。
つーか手前ェ鍛錬後だろ、汗くせぇぞ。次入るか?
ゾロは昨夜不寝番だった。いつも通り、見張り台の上ででもトレーニングしてたんだろう。
「いやいい、寝る。
寝んのかよ。俺ぁこれから朝食の仕込みだっつーのに」
何度か顎をさすって剃り心地を確かめる。
無骨な指が、丁寧に輪郭をなぞった。
「メシには起きる。今日の朝飯ぁ、なんだ?」
…昨日釣った魚を使って、シンプルに。
あとは、港出たばっかだから、新鮮な野菜と卵。
仕上がりに満足したのか、剃刀を元の位置にことりと置く。
「ふぅん、楽しみだな。ん、こんなもんだろ。邪魔したな。」
バタン。
来たときと同じくらい唐突に、奴は去っていった。
後に残ったのは
沈黙と
指先から上る紫煙と
洗面に散らばる
ゾロの欠片。
ゾロが出ていった扉からしばらく目が離せず。
ようやく彷徨わせた視線は、さっきまでゾロの付属物だった、今ではただの塵でしかないはずのものに釘付けで。
あまつさえ。
それに
触れたいなんて。
どうしようもなくてサンジは目をつぶった。
ばーかばーか。
いきなり入ってくんじゃねぇよクソマリモ。
手前ェ、俺が何で今風呂入ってるか知ってんのかよ。
誰のせいで昨夜深酒したと思ってんだ。
寝付けなかったのは誰のせいだ。
手前ェなんか、手前ェなんか。
手前ェなんか大嫌いだ。
溢れそうないろいろを沈めるために、サンジは湯の中に突っ伏す。
煙草の火がじゅうと音を立てて消え、ちぢこんだ身体は完全に水没。
金の髪がゆらゆらと揺れる。
既にだいぶ温んだ湯はサンジを優しく包み、このまま溶けたらどんなにか楽だろうと思わせる。
しばらくは、起きあがれそうになかった。
ちゃぷ
ちゃぷん
ちゃぷん
■ end.
2006/08/19加筆修正
風呂場で煙草吸うサンちゃんが書きたかっただけだったり。
元々は日記ssでしたー。