■ 真昼の真夏の炎天下 ■




ガンガンガンッ

古びたアパートの錆びた階段を、二段とばしで駆け上る。
2階の廊下の突き当たりから2軒目、202号室がゾロの家だ。
いつも通り鍵もかかっていないドアをガチャリと開ける。
外と同じく、いや空気がこもっている分、外よりも更に蒸し暑い空気がサンジを包んだ。

「ぅあっち〜い! お〜いゾロ、生きてるかぁ?」
返事はないが、かまわずに口をまわし続ける。暑さのせいでろれつも怪しい。身をかがめると、頭がちょっとクラクラした。
「大阪じゃ昨日38.9℃だってよ! 普通に熱出した人間より高ぇっておかしくねぇ? って、オイお前どこにいんの?」
靴を脱ぎおわって顔を上げると、一目で見渡せる六畳一間のどこにもゾロの姿はない。
いつもならこの時間は確実に家にいるはずなのに。
もしや、クーラーはおろか扇風機すらないこの家にさすがに嫌気がさして、どこかに涼みに行ったのだろうか。いや、そんな事すらしない面倒くさがりがゾロである。
案の定、玄関の右手、浴室の方から声が聞こえた。
「何お前、こんな時間から風呂? って、水風呂かよ!」
バスルームをのぞくと、その通りゾロは水風呂に浸かっていた。
そういや、去年も水風呂入ってたな、コイツ。
「あー、昨日風呂はいらねぇで寝ちまったから、ちょうどいいと思って」
「確かに気持ちよさそぉ」
「お前も入るか?」
「んー、どうすっかなぁ」
昨日に続いて今日も暑い。
サンジの家からゾロのアパートまでは歩いて約10分ほどだが、ここに来るまでにサンジの身体は既に汗だくである。
気狂いのように照りつける太陽に、足下のアスファルトから立ち上る熱気。顔をなでる風でさえもなま暖かい。
ほんとは家から一歩出た時点であまりの直射日光にたじろいだが、それでも手に提げた荷物を早く見せたくてここまで来たのだ、この暑い中。
…あ、そうそう、荷物!

「そーだ、ゾロ、お前んち氷あるよな!?」
「……ない」
「はぁ〜! 何で!」
「麦茶に入れて。昨日」
だからお前その単語で喋るクセやめろって。馬鹿に見える。
ゾロとは小学校からの付き合いだが、昔っからこういうしゃべり方をする。基本的に言葉が足りないのだ。初めてあったときもそれが誤解を呼び、大喧嘩に発展した。
「え、じゃあ作ってねぇの」
というと、こくりとうなずく。なんてこった、オーマイガ。
「うぉ〜、じゃあ今から氷作るとなると何時間待つんだよ。まぁいいか、専用の製氷皿使おう」
「なんだそれ」
そう言ってゾロが指さしたのは、俺が手に捧げてる紙袋だ。
「おぅ、これさ! 今日納戸で見つけたんだよ、かき氷機! これで作ったかき氷は旨いぜ〜?」
ジジィに言いつけられた納戸の整理をしていて見つけた拾いものだ。
小さい頃は良くこれでかき氷を作ってもらった。コンビニで売ってるかき氷とは違って、手でひいた氷はふんわりと空気を含んで、口に入れるとするりと溶けていく。
「シロップは持ってきたんだけどよ、氷がないとは思わなかったぜ。家に帰るのもあれだしなぁ」
ジジィの手伝いをほっぽりだして来ちまったから、今更戻るのは気が引ける。
「お前んち今日も暑いだろうと思ってよ、食わせに来てやったんだぜ?」
かき氷機を床において台所に行き、製氷皿に水を入れた。その水ですら温まってだいぶ温い。
「うー、立ってるだけで汗出てくる。お前よくこんな部屋入れるな」
「慣れた」
浴室に戻ると、浴槽にたまった水のせいかここの空気はだいぶマシだ。和室の方よりは居心地がいい。トイレとバスが一体になったユニットバスでは、浴槽はやはり小さい。剣道をやってるせいで大分ガタイのいい幼なじみには窮屈そうだ。
裸を見るのは久々だが、また一回り太くなった気がする。
胸板は厚くなったし、二の腕も一目で何かやっているな、と分かるほどの筋肉がついている。
自分もそれなりに鍛えている方だが、並ぶとその差は歴然だ。張り合うわけではないが、男としてちょっとな、と言う思いもある。
思いがけずじっと見つめられることになったゾロは、居心地が悪そうにタオルで顔を拭った。
俺も入ろっかなーと言いながら水に指をくぐらせると、だいぶ温い。体温より少々低いかな、と言う程度だ。
「これだと温くね? もっと冷たい方が気持ちいいんでない?」
「大分ぬるまった。水出せばもっと冷たい」
「マジで?」
と同時に、サンジは蛇口をひねる。ゾロが咄嗟に馬鹿っ、と言ったときには、サンジは既にずぶぬれになっていた。

「っっっっんっ何だよコレ!」
バスルームの蛇口は、元栓で普通の水道管から出るのと、シャワーとを切り替えれるようになっている。サンジは元栓を確認しないまま蛇口を開けたので、シャワーを頭からかぶる羽目になったのである。
「あーくそ、濡れた!」
水を止めるのに手間取ったため、Tシャツはおろかハーフパンツまでぐしょぐしょだった。
「…お前もう入っちまえ」
「そうする」
洗い場でいささか乱暴にTシャツを脱ぐのと入れ違いに、ゾロが風呂から上がった。

そのまま脇を抜けようとするのを、腕をつかんで止める。

ひやりとした肌は吸い付くようだ。
二の腕を握った指を、ゾロは不審そうに見やった。
目の端でそれを捕らえて、俺はますます手に力を込める。
さっきまで、何とか繕っていた雰囲気が、うだるような暑さの中に霧散した。

「…お前さ、何で俺の事見ねぇの」
そうだ。
この家に来てから、今日、この小学校からの幼なじみは一度も俺を見ない。
いつだって、人の目を見て話す奴が。
言葉は少なくったって、その目で10倍語る奴が。
今日だけじゃない、この間から、あの日から。
俺がゾロの手を振りきって逃げたあの夜から。

「お前こそ、何で今日来た」 押し殺した声で、奴は言う。
その固さに、予期はしつつも戸惑った。
「なんで、って…」
「俺の気持ちは、言った。お前は逃げた。そういうことだろう」
「そうじゃねぇ、そうじゃねぇよ!」
思わず顔を上げて、奴の目を睨んだ。目線をあわせるのは1週間ぶりだ。
濡れた髪が視界を覆う隙間から見えた、あの夜と同じ、見たことのない熱をはらむ瞳に背筋が震え、俺は視線を彷徨わせた。
「だってお前、いきなりあんな」
「いきなりじゃない。お前をずっと好きだった」
ストレートな台詞に、顔が赤くなるのが分かった。そんな俺を見て、ゾロがため息をついて腕をふりほどく。
「…俺はそんな、我慢できる方じゃないんだ。風呂入ったら、帰れ」

「我慢、しなくていい」

振り払われた自分の指を握りしめたら、咄嗟にそんな言葉が口をついた。
ゾロがゆっくりとこちらを見る。
「なんだと?」
「だから、我慢、すんな」
うだるような暑さの続く中、考えることはいつもゾロのことだった。
握りしめた手を見る。さっきみたいに、振り払われるのは嫌だ。

あのとき手を振り払ったのは俺だった。
幼なじみだと、親友だと思っていた男の(そうだ、ゾロはもう小学生の子供ではなく、立派な体格とそれに見合う精神を持ち合わせた、青年になっていた)、初めて見る熱情に戦いた。
喉はからからに干上がった。つかまれた手首が心臓になったように脈打った。
ゾロの、闇にも光る目に映っているのが確かに自分だと認識した瞬間、サンジはその場から逃げ去った。
家に着いたときには足はがくがくと震えていて、よくこれで走れたものだと的外れなことを思った。

あの夜から一週間、ずっとゾロに会う口実を探していた。
いざ前にすると、顔だけじゃなく、全身が熱い。頭が焼き切れそうだ。
まとわりつく夏の熱気よりも、今感じるゾロの視線の方がよほど熱い。
眠れない夜が何日も続いた。
もう限界だ。
俺もお前が欲しいんだ、ゾロ。

自分でも驚くほどの力で、奴の指を握りしめた。目線は濡れたタイルをさまようばかりだ。
この指の強さだけで、どうにか伝わってくれないものだろうか。

空気が揺れて、ゾロが一歩近づいたのが分かる。
顎に手が伸ばされて、俯いてた顔を上げられた。
「本気か」
見つめると言うより睨むような目つきのゾロがいる。
その目はぎらぎらとして、どう猛な獣を思わせた。
「本気だよ」
その目で俺を見続ければいい。
そのとき、多分俺は笑ったと思う。
奴の目が欲情に濡れたから。




お前との付き合いは長いけど、こんなに甘いキスができるとは知らなかった。
合わせた唇は火傷しそうに熱く、合わせた肌はとめどもなく濡れ。
気狂いのように俺らは交わった。




外には同じく、気狂いのように照りつける太陽。
それすらも、ふたりの狂態を知らない。





■ end.
2005/08/07
2005/08/25加筆修正





(えーと、)
(あまりの暑さに湧いたのは私の頭……)

てなわけで日記に書いたものに加筆修正。

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