──そんな夢を見た。


■ 夢十夜 ■


第三夜 ダンデライオン



目が覚めると、ゾロは四つ足の獣になっていた。最初に目に入ったのは、見渡す限りの青空と、所々に岩の点在する草原だった。視線を下げて見えた毛の生えた太い足に鋭利な爪が、さした違和感もなく馴染んだ。

自分がライオン、と言う生き物だという事を知るには少し時間がかかった。なにせ、そこらにいる動物に話を聞こうにも、自分の姿を見た彼らはすぐに逃げてしまうので。
焦れたゾロは近場にあった泉で待ち伏せした。しばらくすると、三頭の頭に角を生やした、ゾロよりもだいぶ長い足が俊敏そうな、そして全体としてだいぶ細い動物がやってきた。ちょうどゾロの対岸で水を飲み始める。

 こんだけ距離があれば、あいつらも話す気が起きるだろ。

そう思って、ガサガサと音を立てながら茂みからのっそりと姿を現したゾロの予想は見事に裏切られた。

 ──ラ、ライオン…!?
 ──なんでこんなところに!

そういったか言わないかのうちに、彼らは一目散に逃げ出してしまい、ゾロは少々面食らう。少なくとも、ゾロの心にさざ波を立てる程度の出来事ではあった。
確かに、人間であった時も、凶悪な面構えと腰に下げた三本刀、あるいは伝わった所業のせいで避けられた事はある。酒場で自分の周りだけ空席だったり、宿屋で宿泊を断られたり、そういう事はよくあったが、取り分け傷つく、なんて事はなかった。自分の歩んできた道を考えれば当然の事だと思ったし、それを悔やんだ事も寂しいと思った事もない。
だがしかし、ゾロが今感じている感情は明らかに寂しさだった。
言いようのない空しさはゾロの心を一瞬にして浸食した。少なくとも、自分は今こうなってから、そんな態度をとられる謂われはなかったと考える。なにも、評価に値する行動は起こしていない。心持ち項垂れた視界に、泉に映る何者かの姿が入った。
炯々と輝く眼、鋭利な爪と牙を持ち、緑のたてがみを揺らすそれが、自らの姿だと合点するのにそう時間はかからなかった。
二度、三度と瞬きして、目の前のいかにも残酷そうな獣の姿が紛れもなく己だと認識した。

あぁ、そうか。俺はライオンだったのか。

なぜだかそうひどく納得して、そうしたら妙に気が抜けた。よく分からない状況に、知らず気が張っていたらしい。
何かする気も起きなかったので、そのまま寝る事にした。茂みの中に身を潜め目蓋を下ろすと、すぐに眠気が襲ってくる。ゾロはそれに素直に身を任せた。四つ足で眠るのは、どうにも難儀だと思いながら。





次の日空腹で目が覚めても、ゾロはまだライオンのままだった。そして、このままここにうずくまっていても飯にはありつけない事に思い至った。
ここには、飯を用意してくれる誰かはいないのだ。

 ──? だれかってのは、誰だっけか…?

記憶は霞んでいて、どうにも思い出せない。そもそも、そんな「誰か」は最初からいなかった気もする。
しばし考えていたが、そのうち馬鹿らしくなって止めた。
とにかく、今はこの空腹を癒したい。

獲物を狩るのは容易な事ではなかった。
二度失敗し、三度目でようやくしとめた。自分の早さと牙の威力、地を駆る爪の強さ、そして獲物の力量。それらがようやく一致した。
どう、と音を立てて倒れ込んだ獲物に覆い被さり、首めがけて牙を立てる。ぶつりと皮を破る音と同時に鉄くさい味が口中に広がった。それを啜るようにしながら、筋肉の繊維を断ち切っていく。獲物はなおも四肢を振り動かして抵抗したが、もはや意味はない。その瞳に既に力はなく、焦点も合わない目にはただ恐怖の色だけが浮かんでいる。
それに感じる僅かな違和感。
自分が喰いたかったのは、果たしてこれだったろうか。
こんな、弱々しい眼が見たかったわけじゃない。
もっと挑戦的な、隙あらば喰らおうとするような、挑発的な眼ではなかったか。
びくりと大きく震えた獲物に思考は中断された。
もう一度顎に力を込めると、獲物は大きく二度震えて息絶えた。

存外がたいの大きい獲物は予想以上に食べ応えがあった。短い毛の付いた皮ごと肉を引きちぎる。自分の牙はそれに適しているらしく、たいした苦労もない。
肉はもちろん内臓まで食らいつくし、大地に染み込ませるのすら惜しいと血を啜った。
もう食べられないほど腹の膨れたゾロは、ようやく貪っていた身体から身を離す。
後に残ったのは骨と、どうにも食べようのなかった頭部だけだ。それでも、それを食べきれない事に苛立ちを感じる。
全てを自分の血肉としたい。自分ではどうしても残してしまう部分がある事が許せなかった。
しかし全て喰らうにはその骨は硬すぎ、その頭部の肉は薄すぎた。

ふと気づくと、ゾロの周りは矮小な気配で満ちていた。血の臭いをかぎつけ、おこぼれに預かろうと集ってきたハイエナ共だ。そいつらは、初めは遠慮しつつ、やがて傍若無人にゾロの獲物を貪り始めた。自分がしとめた獲物に触られるのは不快感がこみ上げたが、ゾロが骨にこびり付いた肉片や頭部、僅かな皮に至るまでみるみると無くなっていくのを見て、蹴散らす気もなくなった。
自分がその役割にない、と気づいたのだ。
自分一人で、全てを喰らおうなんて。
それが出来るのは、あいつくらいだ。
それに何故か妙に安心し、同時にどこか口惜しく、それ以上見ているのが嫌でその場を後にした。
のっそりとあるくその姿は、誰が見ても百獣の王だった。





それから何度目覚めてもゾロはライオンのままだった。むしろ人であった事など忘れたかのようだ。
彼は常に一人でサバンナを駆け、獲物をしとめ、一人で眠った。常に正体の分からない飢餓感に襲われながら。あるいは焦燥と言ってもいい。獲物に爪をかけ牙を立てる度、これではない、という確信のみが募る。
彼に近寄ってくる雌もいた。本来彼は群れで狩る種族であるらしい。しかしその全てが彼より劣っていたため、彼は選別する間もなく切り捨てた。足手まといなどいらない。結局、彼は最初にライオンとなったあの日と変わらず孤独だった。
相変わらず、誰もが彼を見つけたとたんに逃げ出し、寄るのはハイエナばかりだ。それとて、満腹になって安全な彼にしか近寄らない。
孤独なのはかまわない。それは問題ではない。違うのだ。ゾロがなにももっていないことが問題なのだ。
そのことに対し、ひどく焦燥を感じる。何か、何か自分にはあったと思う。
獲物を狩り空腹を癒す事に追われる毎日でなく、もっと明確にあったその目的。常に傍らにあった何か、誰か。
確実にあったはずのそれらはぼやけて、掴もうとするととたんに霧散する。
あれはどこにいった。
たまらずにゾロは走り出した。
限りなく広がるサバンナの境目、空との境界、あのまっすぐな線を目指して走り出した。
そうだ、俺の持ってたもんは、あの地平線と同じく揺るぎないもののはずだった。あれを取り戻さねばならない。
後ろ足で地面を叩きつけるように蹴る。
身体が宙に浮く。
着地した前足でまた蹴る。
自分の風を切る音しか聞こえない。
上がるスピードに視界はどんどん狭くなる。
流れる景色はどこまでも同じでやがて眼前は三角形の固まりになる。
もっと早く
もっと近く
あの地平線までいかなければ
影すら置き去りにする勢いでゾロは走った。
目の前に峡谷が見える。
その先に行くため飛び越える事をゾロは躊躇しなかった。
飛んだ瞬間太陽が目に入った。
眩むようなその光。
視界が白く灼ける。





「うわ、びっくりした」
次の瞬間ゾロの目に入ったものは、雲が僅かに浮かぶ青空と、オレンジの木のつくる影、上からのぞき込むサンジの姿。
「お前なー、いきなり起きるんじゃねぇよ。俺がビックリするだろがマリモめ」
サンジの声も耳に入らない。おずおずと身を起こす。手すりの向こうに広がる青い海。手にあたる甲板の木の感触。遠くで聞こえるクルー達の声。
「おーい?」
あぁ、そうだ。ここはゴーイングメリー号だ。
「寝ぼけてんのかお前。ほれ、今日のおやつのサンジ様特製グラニータだ。お前用に洋酒多めにしといたから、これでも食って目ェ覚ませや」
正面に回ったサンジが床にグラスを置く。その手を何とはなしに目で追って、口元の煙草に戻るのをただ見ていた。
「…なんか調子狂うなぁ、なんか悪い夢でも見たんでちゅかー?」
サンジだ。まだ回らない頭で、どうにかそれは認識した。
おもむろに手を伸ばす。
「うぉ…っ! ッテ、テメ、なにしやがるッ! とうとう脳みそにまでカビ生えたか!?」
なんとか離れようと、じたばた暴れ続ける身体を無理矢理、渾身の力で押さえつける。
互いの顔が肩に乗っているため、顔が見えないのが惜しい。
でも、見るまでもなく確信した。
そう、これだ。

それから、騒ぎを聞きつけたクルーが船尾に全員集まるまで、ゾロはサンジを抱きしめ続けた。

■ end.
2005/07/27





んー、第三夜とかやっちゃったけど、ホントにlongになるのかな、コレ。
ネタが思いつけばそうしたいんだけど。
この話の出発点はバ○プのダン○ライオンだったはずなのに、影も形もない…。
かろうじてタイトルに残り香。

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